父の経過については昨年の11月中旬に以下の記事を最後としていたが、2月の中旬についに息絶え、亡くなってしまった。
88歳と半年の命でした。
亡くなる2週間ほど前から呼びかけに応えられなくなっていたので、ある程度覚悟はできていたし、楽にしてあげたいという気持ちもあったが、もう少し余命はあるのだと自分勝手に思っていたので残念でならない。
「死因」は「老衰」という事で、最後まで特段の病気もせず、そういう意味では”健康”だったというわけだ。
しかし、自分としてそれ以上にショックだったのは、87歳の母が癌宣告されたことだ。父が亡くなる前日だった。
鼻腔内(鼻の中)の悪性黒色腫で、高齢でも進行が早いものだそうで、早期の検査/治療が必要と診断された。さらに宣告されたときには”転移の心配もある”という事だったから、本人も当然だったが私自身も大きなショックを受けた。
父の葬儀の前日にPET検査を受け、数日後”転移なし”ということがわかりホッとしたのだが、手術によって鼻の中に”デキモノ”状に肥大しているものを、付近の皮膚ごと切除して、患部近隣に散っているがん細胞は陽子線による治療を行ってゆく方針となった。
手術は松本市にある信州大学附属病院で、ここ伊那市から通うのはちょっと大変ではあるが仕方ない。
治療については、すぐに手術日程が決まり、3月の中旬には手術により”デキモノ”化しているものを無事切除でき、今は退院を待っているところ。
退院後当分の間、週3回の陽子線治療に通うことになる。
この1ヶ月余り、父の企業年金の遺族給付金手続き、公的年金を母側の遺族年金に切り替える手続きや、介護保険や保険の停止き、仏壇や墓地の手配、四十九日法要の準備や相続や名義の変更の事などなど、で目まぐるしい日々を過ごすうち、弟の義理の父も癌に倒れ亡くなってしまった。
悪いことは続くというし、”二度あることは三度ある”ともいうが、当たり前だがこの間は試験勉強にしろ何にしろ、全く手がつかない日々になっている。
だからなんだ、何を書きたいのか?と言えば、起きてしまったことを書き連ねただけで、こういう事は多くの人が同じように経験していることであろうし、ある意味人生の中であるあるの”イベント”と言ってしまえばそれまでだろう。
しかし、一つ記事に書く事として価値がありそうかも、と言えるとすれば「FP試験の勉強をしておいてよかったな」ということかもしれない。
詳細は以下の過去記事に譲るが、事後の手続きなど処理するにあたり最低限の法律を含む知識があると無いとでは大きな違いとなる。
ちなみにこの試験無事合格していた。よかった。
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