今、「不寛容」の文化が暴走を伴って醸成されていると思う。
有名人の、ほんの少しの言い回しの間違いや失言を、魔女狩りのごとく徹底的に叩く。
その叩き方たるや凄まじく「差別」発言への叩き方が恐ろしく差別的だったりする。
叩き始めたら最後、マスコミもツイッター民も、叩かれる側の人権は認めない。もう人扱いをしない。
街には”◯X警察”が徘徊し、彼らの”成果”を報告する。一体彼らは自身の行為に何を求め、誰に報告しているのだろう?
そしてまともな人達は怖くなり何も言えない。
しかし不思議な事に、例えば梅沢富美男さんがどんな不謹慎な事を言っても誰も叩かない。まるでその発言にピー音がかぶっていたかのようだ。同じ人達が何も反応しないのは何故なのだ?
それは、要は、彼らの主張には一貫性など微塵も無いからなのであろう。
だから叩きたい対象を叩くだけだ。マスコミも同じレベルに成り下がっている。
さてしかし、そうこうしている内に多くの企業内でも同じ様に「不寛容」文化が醸成されているのではないか?
少なくとも私は退職する10年近く前から感じていた。嫌だったなあの感じ。
高度経済成長が終わった後、「失われた20年」、更に続く「失われた30年」の中で苦しんでいた日本の企業では、誰もが正論など言っていられなかった。
昨日の記事でも触れたが、いくらやるべきでも現有力がそこに達していなければ”出来なかった”という結果が得られるだけだ。
限られた環境の下で出来ることは全てやり、できない事は例えそれが「やるべき」であったとしても出来ない事は出来いとして明らかにし、実行場面では現実路線をとっていた時代だっただろう。
当時盛んに使われたのはFeasibility(実現性)という単語だ。
Feasibilityについて上のチェックも厳しかったし、正論やべき論じゃなくて出来る事をやりきる。出来ない事はそれを出来る事にして、”出来た”という結果を得る為にFeasibilityの検討を求められた。
がしかしこの”Feasibility”って言葉、この10年あまり聞かなくなったな。
策定した方針自体にも現れていて、トップの方針がアアだから、自分の方針にもこう書いとかないとダメでしょ、というリーダーが多くなってきているように感じていた。
その裏は「出来ないけど書かざるを得ないでしょ」になっている。
実際会議でこんな事が何度もあった。
私:「そんなFeasibilityが張り付かない事を論議せずに、現実に立ち返って...出来なきゃ意味がないんだからサ」
他:「・・・」
司会者:「で、先程の続きですが、これはやらなきゃいけないので、皆さんの意見はいかがですか?」
私:(おぃおぃ無視かよ)で「無言」
そういう会議は、上記のような論議の後、時間切れまで無限ループし、何も決まらないまま終わる、それでいい、という雰囲気になっていた。
またこんな事もあった。
不具合調査の結果、作業標準が守られなかった事が原因だった時の対策会議。
私:「現状の手順自体が遵守しづらい面があるのだから、この機会に作業しやすくなるよう検討して改定しといた方がいいな」
他全員:「守らなかった者が悪いのだから手順の改定なんて以ての外!そもそもこの顛末は始末書ものなんだぁぁ!」←語気荒し!
私:「そんな懲罰的な事言ってたって、いつまでも人の集中力に頼ってたら再発しちゃうんだからサ」
他全員:「懲罰的で何が悪い!実際懲罰に値するだろ?!作業標準は守るんだよ!改定なんてしちゃあいけないんだよ!」
私:(アラアラみんながズレてるのね)で「無言」
私も早期退職を決断する前なら徹底的に論戦したと思うが、上の二つの事例の時はもう決めてた頃だったし、あまりにも「正論原理主義的」に凝り固まっている人間が増え過ぎていて、且つ明らかに増加傾向を感じていたので、大勢に無勢で私自身も、もう無力化されてしまっていた。
「正論原理主義者」達って自分で考える事を放棄してるんだよナ
もちろん決めた事、決められた事は守らなくてはならんし、守るものだが、手順書、標準書の改善/改定のPDCAを回して良いものにしていく事だって、同じく、決められた事だしやるべき事なんだゼ。忘れたのか?ボケたのか?
がしかし、多くの社員からそういう当たり前の常識も知恵も失われつつあった。
そう感じていた最中この本を読んだ。
まるで自分の中の、あのもやもやした気持の一角を明確に解説してくれているような本で、読了後は、元々もう後戻りするつもりもなかったが、更に背中を押されたようにスカッとしたのを覚えている。
しかしこの「正論原理主義」の広まりは一企業だけでなく世界全体の流れなのだから止めようがないんだろうな。
でもだからこそ、リーダー、管理者は頑張って「正論原理主義」者達から自分の部下を守らなくちゃならんのだゾ。
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