今週いくつかのニュースサイトで、橘玲さんの新刊が出ていることを知った。
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さっそくKindleで買って、この「無理ゲー社会」を木曜日に一気に読み切った。
本書を簡単に且つ乱暴に総括すると、人類が近年になって自由を手に入れ、皆が自分らしさを追求することによって、ほとんどの人にとって住みにくい社会が出来てしまった。
というとてもディストピア的な話だ。
読書感想文を書くつもりはないので、本書に主として流れているストーリーについては、実際に読んでいただいて得てほしいが、メインストーリー以外で私自身がフックを掛けられたワードについて書いておきたい。
先ず、公平と平等についてだ。
本書ではこのように解説している。
公平:機会平等
平等:結果平等
*従って公平と平等は原理的に両立しない。
確かに現実問題として、人は生まれた時点で様々な条件を受け入れざるを得ないから、我々の人生には「公平」という事はありえない、ということがわかる。
一方で「平等」は結果平等ということだから操作可能だ。
国家としてなら、やりようによっては、例えば「全国民が大卒」だ、ということにだって技術的にはできるわけだが、それをやってしまうと本当に頑張った人は「それは不公平だ」となる。
だから「従って公平と平等は原理的に両立しない」のだ。
しかしどうだ?
今のリベラルの人たちは、この原理的に両立できないことを主張しているのではないのか?
また、本書では、今の人達の不満は「不平等(結果が平等とならない)無理ゲーに同意なく参加させられていることに不満を持っている」としている。
しかし私は「ならばゲームから降りればどうか?」と思ってしまうし、実際にゲームを降りて生きている人もいるのは、メディアでも紹介されている。
不満を持っている人の多くは、
・都市部で
・それなりの生活を
・人並みに
したい。
という欲望を捨てないままに、その「無理ゲー」に参加していて、その上で不満を言っているように思うのだがどうだろうか?
条件を変えてみよう。
・田舎で
・最低限の生活を
・人と違ってもいいから
したい。
こうなれば家賃だけで月5〜10万円下げることができるし、30代の前半までなら仕事を選ばなければ正社員の職を得ることも不可能ではないだろう。
しかし、都市部を基本に生きてきた人からすれば、明らかに「人とは違う人生」になってしまうのかもしれない。
でも、だから、それががどうだというのか?
本書ではさらに、
「自分の人生は自分で決める」
「すべての人が自分らしく生きられることを目指すべきだ」
などという価値観は、1960年代にアメリカ西海外のヒッピームーブメントから発生して世界に広がってきた極めて奇矯な考え方だ。
それは「ドリーム・ハラスメント」,「夢のファシズム」と言ってもいい。
と書いている。
さらにリベラルの思想に関しては以下のように強烈だ。
自由と自己責任はリベラルな社会の基盤であり、それを分離しようとすれば、誰もが「好き勝手」に行動することになり社会が倒壊するだろう。
結局、リベラルな思想を追求していくと、今の中国共産党が統治している国のような、全体主義国家になり、それを維持するには独裁者が不可欠になる。
と、いうことだ。
階級については以前の記事にも書いているので、良ければ一読いただければ幸いだ。
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さて、それにしてもしかし、皮肉なことに、橘玲さんは本書でリベラルの活動が無理ゲー社会の根源だといっているのにも関わらず、極左活動機関紙が嬉々としてこれを取り上げているのには、笑える。
と、いうか、この選者である中川淳一郎という人は、さすが極左リベラル活動機関紙に寄稿しているだけあって、ものすごい左派バイアスを掛けた解釈をしているな。
こんな解釈をしてはいけないのだと思うのだが...やっぱ左の諸君は恐ろしいな。
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「Just Like I Treat You」The Rolling Stones
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