tomo1961’s blog

-コロナ禍58で早期退職した田舎者の顛末'ing-

24時間戦えた時代はもう昔話、令和の「働けない改革」の違和感 [No.2026-041]

先日、映画『ブラックベリー』を観て、かつての「週80時間労働」が当たり前だったエンジニア時代の記憶が呼び起こされました。あの頃の日本企業は、まさに「総ブラック時代」。バブル前後から2000年代初頭にかけて、私たちは文字通り身を削って製品を世に送り出していました。

 

あれから時が経ち、「働き方改革」という旗印のもと、職場は見違えるほどクリーンになったはずです。私が退職した6年前にすでに完全ホワイト化していました。

しかし、ふと立ち止まって周囲を見渡すと、どうも何かがおかしい。今の現役世代が手に入れたのは、本当に豊かな労働環境なのでしょうか?

 

1. 「24時間戦えますか?」から「強制退社」へ:極端すぎる振れ幅

かつての日本には「24時間戦えますか?」という栄養ドリンクのキャッチコピーが象徴するように、際限のないハードワークを美徳とする空気がありました。私自身、月140時間の残業をこなし、日曜も職場にいる生活を「当たり前」と受け入れていました。

現代の視点で見れば、それは間違いなく異常な「ブラック」な状態であり、そこからの脱却が必要だったのは言うまでもありません。しかし、現在の「働き方改革」は、その反動があまりに極端すぎるように感じられます。

 

一律の「強制退社」や残業規制によって、現場の熱量までが削ぎ落とされている。かつて夜中まで作業を進めて難局を乗り越えたような瞬発力や、若手が納得ゆくまで技術を磨く時間さえも、一律のルールで奪われている……。この「極端から極端へ」の急激なシフトに、社会や現場の意識が追いついていないのが現状ではないでしょうか。

 

2. 「ホワイト化の罠」:生産性が上がらない「ゆるブラック」な職場

本来、労働時間を短縮する「働き方改革」は、IT投資やDXを進めて生産性を高め、短い時間でより大きな価値を生むためのものだったはずです。しかし、現実はどうでしょうか。

 

多くの企業で行われたのは、単に「時間を削る」だけの作業でした。業務プロセスはそのままで、ただ「早く帰れ」と急かされる。その結果、何が起きたか。

現場は、楽ではあるけれど成長実感も得られない、いわゆる「ゆるブラック」な職場へと変貌してしまいました。ホワイトすぎて若手が「このままここにいて、自分は成長できるのだろうか?」と不安を感じ、成長期待を求めて辞めてゆく。生産性が上がらないから利益も出ず、結果として会社員の給与も30年近く横ばいのまま……。これが、私たちが望んだ改革の成れの果てだとしたら、あまりに皮肉な話です。

 

3. 「馴れ合い春闘」の限界:なぜ戦う組合は消えたのか?

労働環境が硬直化しているもう一つの要因は、労働組合の形骸化にあると思われます。

 

かつての労働組合は、経営側と火花を散らす「労働争議」を通じて、自分たちの労働の価値(給与)を勝ち取ってきました。

しかし、長年続くデフレと「安定」という呪縛の中で、日本の企業別組合は経営側と馴れ合い、賃上げ交渉はもはや「お願い」に近い儀式になってしまいました。更に組合が過剰に「正社員の雇用」という既得権益を守りすぎるあまり、労働市場の健全な流動性が失われ、結果として正規・非正規ともに待遇が改善されないという膠着状態を生んでいます。

 

「会社が潰れない程度に、そこそこの賃上げで手を打つ」という今の馴れ合いの構造では、ようやく実質賃金上昇がプラスに転じたとはいえ、日本全体のデフレマインドを払拭することは不可能だと思うのです。

 

4. 積極財政が変える「空気」:高市内閣への期待とデフレマインドの払拭

この停滞した空気を打ち破るには、企業努力だけでは限界があります。そこで注目すべきと思うのが、高市早苗氏が掲げるような「積極財政」によるパラダイムシフトです。

 

長年、日本を覆ってきた「投資をしても無駄だ」「明日は今日より悪くなる」というデフレマインドを、国が主導して払拭する必要があります。国がしっかりと蛇口を開き、財政を出動させる。それによって「市場にはお金が回る。投資をすれば必ずリターンがある」という確信を企業側に持たせることができるかどうかが鍵です。

企業が「投資しても大丈夫だ」と思える環境が整えば、ようやく「時間を削るだけ」の改革から、「技術や設備に投資して生産性を劇的に上げる」攻めの経営へと舵を切れるはずです。

 

まとめ:私たちが取り戻すべき「健全な労働」と「対価」

かつての「ブラック時代」に戻ってはいけません。しかし、今の「働けない改革」による停滞からも、日本は脱却しなければならないと思います。

今の現役世代が取り戻すべき「健全な労働」とは、単に時間が短いことではなく、「自分の注いだ熱量が、正当なスキルアップと報酬(給与)として跳ね返ってくる」という実感ではないでしょうか。

 

国は積極財政で市場を温め、企業は未来への投資を行い、労働者は自らの価値を高めてそれに見合う対価を要求する。そんな当たり前のサイクルが再び回り出すこと。それこそが、私たちが目指すべき「真の働き方改革」の姿なのだと思われます。

 

定年を迎えた私のような世代にできるのは、かつての失敗と熱量を語り継ぎ、次の世代が「24時間戦う必要はないけれど、存分に腕を振るえる」場所を作れるよう応援することしかできないのですが...

このブログについて知りたい方はこちら