tomo1961’s blog

-コロナ禍58で早期退職した田舎者の顛末'ing-

アニマル・スピリットを呼び戻すために [No.2026-039]

今朝も薄氷がはりました

―映画『ブラックベリー』に見た技術者の光と影―

先日、「定年後であっても、自分の中に眠る“アニマル・スピリット”を呼び起こすべきかもしれない」というお話をしました。

 

物事というのは不思議なもので、自分の中のほんの小さなスイッチがパチンと切り替わるだけで、昨日まで動かなかった足が急に前へ進み出したりしますよね。私にとって、あの記事を書いたこと自体がひとつのスイッチになったようです。1月中旬から続いていた、どこか心ここにあらずな「ダラけた生活」に、ようやく喝が入った気がします。

 

さてそんな日に、先日加入したばかりのNetflixが絶妙なタイミングで「あなたへのお勧め」を提示してきました。画面に映し出されたのは、以前から気になっていた作品、

映画『ブラックベリー』

です。

 

今回は、この映画を観て蘇ってきた、私自身の「あの激動の時代」の記憶とともに、当時の技術者のやりがいと悲哀を思い出してみました。

 

1. 「世界を獲った」キーボードの熱狂と、セブ島の記憶

日本では当時ガラパゴス携帯が100%でしたし、もちろん今の若い方々は時代が違うので馴染みがないと思いますが、「ブラックベリー(BlackBerry)」という携帯端末があったのを知っている方は、かなり少数派かもしれませんが、それはまさにスマートフォンの先駆けだったのです。

BlackBerry - Wikipedia

 

最大の特徴は、本体下部にぎっしりと並んだ物理キーボード。これでビジネスメールをサクサク送り合えるのが、当時のエリートたちのステータスだったのです。

2000年頃から北米を中心に爆発的に普及し、2009年のピーク時には世界シェア20%以上という驚異的な数字を記録しました。オバマ元大統領が愛用していたことでも有名ですし、あまりの中毒性に「CrackBerry(クラックベリー)」なんて造語まで生まれたほどです。

 

私もセブ島駐在時の、当時の現地の光景をよく覚えています。欧米企業の駐在員や現地の富裕層たちが、誇らしげにブラックベリーを操作している姿は本当にかっこよかった。

私も欲いなと思った事もあったのですが、当時はあまりに高価で手が出せませんでした。仕方がなく、デザインだけは似ているけれどメール機能は使えない「Nokia N70」を手に入れて、自分を納得させていたものです(これだって、当時の基準では十分高価な買い物だったのですが、日本ではSIMロック制度があったので戻ると使えない)。

僕が駐在員時代に使ってたNokiaN70

2. 「週80時間勤務」という、どこか懐かしい響き

映画『ブラックベリー』が描くのは、彗星のごとく現れて市場を席巻し、そしてiPhoneという新興勢力によって駆逐され、その後数年で表舞台から消えていった、経営者、開発者たちの狂乱ともがきです。

 

劇中「週80時間勤務」というセリフが出てきます。計算すると、1日8時間労働+5時間以上の残業を6日間という計算になります。これを聞いて「うわっ、ブラックすぎる」と思うのが現代の正解でしょう。

しかし、私の胸に刺さったのは、それとは別の「痛み」でした。ちょうど同じ頃、私は「日本企業総ブラック時代」の真っ只中にいたからです。当時の私の残業時間は月140時間が当たり前。月26日出勤として一日平均を出せば、奇しくも映画と同じ「1日5時間以上の残業」になります。土曜休みなんて概念はなく、日曜日も出勤しデスクか実験室にいるのが日常茶飯事でした。もちろんその殆どは手当が出ない”サービス残業”です。

 

午後も夕方になってから「翌朝の始業までに試作組み上げ」「明日の朝の会議に検証結果を説明」という無茶な締め切りが、当たり前のように降ってくる。そして、それに疑問すら抱かず ”うぃ〜す” なんて返事をして「やるのが当然」と考えていた、あの異常で、しかし熱狂的だった空気感が一気にフラッシュバックしました。

 

3. 正攻法では勝てない、深夜の「合議」とリソース争奪戦

映画の中で描かれる、技術者と販売サイドの激しいせめぎ合いも他人事とは思えませんでした。

「完璧なものを作りたい」と理想を追う技術者に対し、販売側は「いつまでに、いくらで出せるんだ」と数字を突きつけてくる。まともにやっていたら、物理的に時間は足りません。だからこそ、夜中や明け方に数人で集まっては「この手順、削れないか?」「これを端折って、まずは形にしよう」と、ある種の“合議”でルールを書き換えていく。

 

また、すでに走り始めている製品の生産リソースを、無理やり開発中の新製品に振り向けるための泥臭い折衝……。華やかな市場シェアの裏側にある、こうした「痛い思い出」こそが、開発の現場を支えていたのだと改めて痛感させられます。

 

4. 深圳からの衝撃と、失われた「品質」への誇り

物語の終盤、主人公のマイクはついに製造拠点を中国・深圳(シンセン)へ移す決断をします。しかし、届いた製品「BlackBerry Storm」を検品した彼は、その品質の低さに愕然とします。あのシーン、技術者としての絶望が伝わってきて、本当に胸が締め付けられました。

このシーンで映されている、1200x1200バレットに積まれケースマークに「深圳」などと書かれてラップで巻かれ、倉庫に並んでた輸出入貨物は、私の経験した姿と全く同じ。

 

 私たちが関わったプロジェクトでも、最終的に中国生産へ踏み切りました。しかし、上がってきた試作や初期ロットの惨状を見て、結局、最終的には、現地生産品をすべて日本へ持ち込み、全数検査を行った上で最終工程だけは日本国内の工場で作業することにしたのです。

 

「許される限り最高のものを作る」という、日本がものづくりで大切にしてきた文化

それに対し、

中国の「いかに手抜きをして要領よく済ませるか」という文化。

 

中国生産が始まる以前にセブ島駐在時に体験した、日本文化に近い考え方のフィリピン人社員達との日々、その違いにも衝撃を受け落胆したのです。

 

5. まとめ:それでも、あの熱量は嘘じゃなかった

ブラックベリーという会社は、最終的にハードウェア事業から撤退しました。映画のエンディングは、どこか物悲しく、時代の移り変わりの残酷さを感じさせます。

 

しかし、今回この映画を観て、私の中のスイッチが再び入ったのも事実です。

 

かつて月140時間の残業に耐え、泥臭い交渉を繰り返し、深圳の品質に頭を抱えながらも、私たちは間違いなく「何かを形にしよう」というアニマル・スピリットを燃やしていました。今の平穏な生活も大切ですが、あの頃の「寝食を忘れて何かに没頭するエネルギー」のほんの少しを今の自分の活動に活かしたいと思います。

 

定年後悠々自適に過ごすのも大切にしたいけど、新しいことや面倒なこと、少しだけ辛いことにも、たまには挑戦してゆきたいですね。

 

このブログについて知りたい方はこちら