仲本工事さんが亡くなってしまった。「8時だよ全員集合」は子供ながら事前に知って、スポットライトに照らされた加藤茶さんのスティックワークから始まった初回放送から見ていた。当時この番組を見る時のうきうきした気持ちは、いまだに忘れられない。
しかしもっと残念なことは、日本の人々が物事の善し悪しを”情緒”で判断する傾向が強くなっているのが、この一件でも見えてしまっていること。
ツイッターを見ていると、
「横断歩道が無いところを渡っていたから自業自得」
「運転手さんのほうがかわいそう」
などという意見が思いの外多い。
日本は自由の国だから、このような意見を述べること自体を咎めるつもりはないが、法律を知らない、わからない人が多く、”情緒”を元に生きている人があまりにも多いのはとても残念なことだし、将来が不安になる。
日本の法律は”人の命は最も尊い”を基礎としている。
だから一番厳しい刑罰は、その尊い命を奪う死刑だ、という事になっているのだ。
道路交通法では、日本の道路は全て歩行者優先だ。
教習所や免許証の講習などでも最初にこれをキツく言われるよね。
だから人は轢き殺してはいけない。
もちろん自動車専用道路は別、という法律になってはいるが、それでもフラフラ歩いている人でも撥ねてしまえば、取り調べの際に最初に「前方不注意」だったかどうか?から調べられるのは同じだ。
もう亡くなってしまったのだが私の叔父の一人は長距離トラックの運転手だった。
叔父は乗用車で走る時でも、横断歩道も止まれの標識もない小さな交差点でも速度を落とし左右を確認しながら通過していた。
父の運転と違うので子供ながら聞いてみると、
「万が一人が出てきたらいけないからね」
と言っていた。
自分がもう少し大きくなって中学生の頃、また同じことを聞いたみたのだが、
「交差点付近が一番危ないから、差し掛かる少し前に、アクセルから足を離して、ブレーキ側に移して惰性で進行し、何もなければブレーキを踏まずに通過する。こうすれば危険を回避できる可能性が高くなる」
と言っていた。
だから私も街なかや見通しの悪い交差点を通過する時は、叔父の言ったようにしている。
情緒的、心情的には歩行者も法規を守って行動しなくてはならない、と思うのはわかるが、
事が起きた後は法律で判断するのが法治国家である事を忘れてはいけない。
確かに現場は複雑な形状の交差点のようで、そこに通常はいないはずの歩行者が歩いていれば危ないが、
人はいないはず、として運転してはいけない法律になっている、のが日本の道路交通法なのだ。
だからこの事故の取り巻きである我々も、情緒的、心情的だけで発言するのは、
いけない事だし、
運転手さんのほうがかわいそうだ、なんて考えないほうがいいし、交通法規だけに関わらず法律を知って法律に従って生きてゆくべきなんだよ。
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