なにか事を動かそうと思っても、一人だけの力でできることは限られているし、特に公共の福祉に足ることなら、とてもじゃないが一人奮闘しても、なかなか成果には繋がらないだろう。
世界でコロナが流行りはじめた頃、日本では横浜港に寄港したダイアモンド・プリンセス号で集団感染が発生し問題になった。
その時に応援者として駆けつけた一人の感染症専門医で大学教授の岩田健太郎教授という方を覚えているだろうか?
その道の権威であり、なかなかの人物のようだ。
しかし彼は、応援に入って数日で、あの混乱を招いた「告発動画」をネットに流してしまい、更に混乱を増長させようとしていたため、船から「つまみ出され」た。
詳細は以下の記事のようなことになった。
この時私が思ったのは、会社員時代にもいた、
発声と主張で物事が動くと錯覚している人
だ。
「発声」とは要は声が大きい人ということ。
結局、あのダイアモンド・プリンセス号での日本の対応は各国の参考になり、その後世界中で発生した集団感染、クラスターへの対応としては、あながち間違っていなかった、というのが総括だろう。
だとすると岩田氏の「大きな声」と「主張」は、あの渦中で、状況の改善のためにあまり効果はなかったということになる。
集団で物事を進める場合は、この例は「反面教師」として学んでおくべきだろう。
日本は自由の国だから「主張」するのは自由だ。
但し、「主張」しても人はその様に動くわけではないし、むしろ「主張」だけの人の話はアブナイと警戒するのが普通だ。
本当に自らの内に正義があるのなら、むしろ「主張」などせずに、水面下から入り込んでその集団を自分の理想に向けて動かし、良い結果につなげる、という行動をとるべきだったのではないか?
もちろん、水面下から動いてゆくと、その成果が自分のものになるかどうかはわからない。しかし正義ならそれも良しとするのではないのか?
目立ち名を売るという気持ちは本当になかったのか、それは本人は言わないだろうし、誰にもわからないだろう。
最近、極左活動機関紙にこのような記事が載った。
結局こうして、目立ち名を売ってしまうと、この方の”正義”はとうとう見えなくなってしまったな。
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今日の一曲
「The Unwritten Law」Deep Purple
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