tomo1961’s blog

-55を過ぎてギターを始めた男が早期退職した後の顛末'ing-

久しぶりの青空と将棊の頭 [No.2021-S019]

 

イムリーではないけれど、昨日朝のウォーキングで久しぶりに青空バックの”将棊頭”を見ることが出来た。今朝は曇天だ。

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そこで”将棊頭”界隈のうんちく、を一つ。

 

「将棊の頭」と呼ばれているのは標高2,675mのピーク。写真をご覧になってわかるように、将棊の駒の頭の様に見えるのでこう呼ばれている。

 

この写真で白く雪が残っている”山頂”に見える付近だ。

 

伊那の人でもしっかりわかっている人は少ないのだが、これは「将棊頭山」ではなく、あくまでも「将棊の頭」というピークでしかない。

 

だから伊那の人はあの山を漠然と”将棊頭”と呼んでいる。

 

写真のように里から眺めると「将棊の頭」が最も標高が高く見えるが、すぐ右の少し低く見えるもう一つのピークが「将棊頭山」だ。これが公称2,730m。

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「将棊頭山」が「将棊の頭」に比べて約550m程西に、里から見ると奥にあるので、この様に低く見えてしまっている。

 

両者に55mの標高差があるから「将棊の頭」に行って「将棊頭山」を眺めると、事実少し見上げる感じに見える。

 

不思議な事に、国土地理院の地図を仔細に見てみると、「将棊頭山」の公称の2,730mという標高の地点は、山頂の看板があるところから380m北西に有る三角点になっていて、我々が登って山頂だと思っている「将棊頭山」は等高線から読むと2,720mと、少しだけ低い。

 

地図上ではこんな位置関係になっている。

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しかし、実際に「将棊頭山」の看板地点から2,730mだという三角点あたりを眺めても、自分の位置から高くは感じないのだ。

 

これは何かあるのではないのか?さらなる探索が必要だ!と思っている。

 

この辺りは、その殆どの地形を明治時代に「大日本帝國參謀本部陸軍部測量局」、通称「陸測」が測量している(実際宝剣山荘前の自然石に「陸測」の彫り込みが残っている)のだが、その時に最初の目測を誤ったのか?

 

しかし、伊那から登ったなら分水嶺から続く「将棊頭山」の尾根の終点が今の山頂看板のピークだから、どう考えても間違える事はないような気がする。

 

もしかしたら、西駒山頂を先に測量して下山しながら先に八合目東の2,661mを設置した後、この三角点設置の適地を探したのか?

 

だとすると「将棊頭山」山頂看板地点からは八合目東の2,661mが目視できない?とすれば合点がいくな。

 

などなどいろいろ思いを巡らせてしまっている。

 

まぁこんな事、ホントどーでもいい細かい事なんだが、なんとも不思議な感じでモヤモヤ感があるので、今年また登った時には、2,730mの三角点の側から「将棊頭山」の山頂看板と、八合目東の2,661m付近を眺めてみたい。




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今日の一曲
「My Heart Will Go On」Celine Dion

My Heart Will Go On

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