このブログを読んでくれている方々の中にも、現時点で、いわゆる「社畜」の状態にある方も少なくないだろう。
私自身「社畜」だった事があるから、その辛さや虚脱感、無力感はよく分かる。
しかし今思うと、あの「社畜」期間に得たことも、かなり多かった。
ざっと羅列するとこんな感じだ。
・上司をよく観察した → 見る目を養うことが出来た
・毎朝30分読書/勉強を続け、多忙な期間でも継続する癖がついた
・同、多くの仕事以外の知識を得た
・自分が同時に複数のタスクを、どの程度までこなす力があるのかがわかった(試せた)
・健康状態と判断力劣化の関係がわかった(試せた)
他にも多数あると思うが、自分自身や、あのとき近かった同僚達が良かったのは、毎日「社畜」として働きながらも、自分が今「社畜」だと認知できていた事は良かったと思う。
自分たちは今「社畜」の状態だから、時々 ”今日は目を覚ましておこう” と思い、束の間現実に戻ったときには、出来る限り冷静に全体俯瞰しようと抗う事を忘れなかった。
当時30代で新製品開発担当だった私も同僚たちも、相当に洗脳されていた。
会社の方針達成は絶対
我社の新製品を市場に供給することが社会正義
何故ならば、顧客の要求を満たさない他社製品が販売されれば困るのは顧客
だからこそ正義のために頑張るのだ
こんな感じだった。
かなりきつい洗脳状態にあったわけだが、不思議と最後の最後数%の部分はいつも覚醒していたのかもしれない。
というか覚醒していたのだろう。
だから、すこし”認知”が残っていたということは、言ってみれば私達は単なる「社畜」であって、完全洗脳された「社畜完全体」には達していなかったという事か。
そういう意味では中途半端だったのかなぁ
今退職してみて考えると、どっちが良かったのかわからんな。
「社畜完全体」も一度経験しとけばよかったのかな、とも思う。
ま、しかし、結果として「社畜」期間に多数の本を読んだり、上司や先輩を観察したりを、かなり真面目にやった事は自分の中に蓄積されて、結果として会社員生活終盤に役に立ったな。
最後の15年位は自分はもう「社畜」ではなかったし、「社畜」状態にある人を見分けることも出来るようになっていたから、何かとうまい具合に人間関係も仕事もさばくことが出来ていたと思う。
その頃には「ちょっと仕事に対して冷め過ぎていませんか?」と言われたことがあったが、冷めて(覚めて)いたからこそ自分の早期退職も決断できたというわけだ。
だから今「社畜」状態の人にアドバイスできるとすれば、少しだけ、数%だけ冷めた(覚めた)気持ちを残して、自分の為になることをやって、続けてみて欲しい。
という事になる。
ま、それ以前にいちばん大切な事は死なないことだな。
生きてりゃなんとかなるからね。
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今日の一曲
”夜更かし 早起き あくびするなよ busy boi!Busy busy繰り返しの days!”
「BZ BZ」REI
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