「その6」以前が未読の方は先ずは一つ前の以下の記事から。
今回は一旦「ツール」という括りから少し離れて、どうして「ツール」だとか「手法」のようなものを知っておかねばならないのか?使うと良いのか?についておさらいしてみよう。
結論から先に書くと、私達は皆「問題解決」の為に活動しているから、その方法としてツールや手法が必要だ、という事になる。
「問題解決」とは
ここでは広義と狭義両方の意味で「問題解決」を取り上げるが、例えば、あなたの毎日同じ自動加工機に、同じ部品をつけ外しているだけの退屈な仕事も、これも広義で言えば「加工されていない部品」という問題を「加工された状態」に解決する、問題解決行為と定義出来る。
毎朝大量の洗濯物があって大変だ。でもそれも「大量の洗濯物が家庭内に滞留」という問題を解決しているというわけ。
職場でいつも揉め事になる。
というのも「業務上の意思がスムーズに決定できない」という問題を解決すればいい事だ。
そして、問題を解決する方法にはいろいろあって、より良い「手」を使うことで効率が上がったり、出来栄えが良くなったり、悪い「手」では逆に悪い結果となる。
だから、その「手口」=ツールや手法を学ぶ事によって、より楽に安く、大量にロス無く、処理を終えて問題の解決を完了する事が可能となる、というわけだ。
さて、「その1」と「その4」の記事の冒頭にも、もう一度さっと目を通しなおしていただけるといいのだが、このシリーズを書き始めた理由でもあるのだが、私の年代が若かったバブル全盛の頃は、会社が社員にかける教育費も潤沢だったし、担当している業務範囲外の研修でも、希望すればほぼ100%OKが出た時代だった。
とにかく作れば売れる時代だったから、当然いかに安く大量にロス無く商品を出荷するか?が「問題」にされていて、企業はその問題解決に必死だったのだ。
別の記事にも書いたが、当時は社員の待遇は目に見える福利厚生や賃金だけが良ければいいでしょ?そんな感じの「日本総ブラック企業時代」だった。
しかしそういうブラックな一方で、前述の通り、積極的に手を上げたり選ばれた人は、様々な事を学び仕事の最前線で活躍したり、又は消耗したりとしていたわけだ。
そういう私達の年代から見ると、今の20〜30代は学ぶ機会が与えられず、文字通りひとつのコマとして扱われているケースがあって心配になる。
話は少し寄り道する。
私が退職直前に所属していた調達品の品質保証を行っていた職場は、言ってみれば「分室」で「本部」は別の事業場にあった。
その「本部」では、不適合品の発生状況をディリーで集計して私達「分室」に提供してくれていたのだが、ある日電話で話をしている時に聞いてみると、その集計は入社2〜5年目の若手数名で手作業により処理しているとの事。
今どきデータの処理を手作業で?
具体的には3つのデータベースから、それぞれCSV型式で落としたデータを、Excelに取り込んで図番をキーに統合してひとつの表にし、そこに基本のデータベースから単価や手番などのデータを突き合わせ、最後にソートして発信している、との事。
毎日同じ事を手作業で行っていて、マクロも使っていないという。さらに聞くと、彼らはExcelの操作は自己流でマクロや関数などの研修も受けたことがないという事だった。
これでは成長しないし、本人たちの無知につけ込んで行われている労働力の搾取にほかならない。
それから、同じ職場の1コ下の人と一緒に、関数やマクロを作って提供したが、60近い年寄り二人が20代前半の若者にExcelの操作を教えている、というジェネレーションの逆転になっていて変な感じだった。
その後数回、関数やマクロの依頼はあったものの、彼ら自身でなにか学んで次の一手を打ったという話は聞かなかった。
解決しなければならない、または解決可能な問題に対して、追求を続けるという行為が定着していない、要はクセになっていないので、結局彼らは「毎日同じでいいや」というところに戻っていってしまったように見えた。
その職場のリーダーと話す機会があったが「前からそうですよ。必要な仕事ですから」
と、素直な真面目な顔をして言っていたのは本当に印象的だった。あの表情は今でも忘れられない。
話を戻す。
では「問題解決」にあたってどのように取り組むのが良いのか?
それは、対象となるその「問題」の性質によって、大きく二つに分かれる。
1.問題が明確な場合
例えば、
・◯◯の日程が遅れている
・不具合が発生した
・商品Aの売上げが上がらない
・Aという作業の時に、BさんとCさんは毎回揉めている
・D部品の寸法不良が多い
・職場Dの予算提出が毎期遅れる
このように、現象が明確な場合は以下の手順で事を進める。
[現状の把握/分析]ー[目標の設定]ー[原因の分析]ー[対策立案/実施]ー[効果の確認]ー[歯止め/標準化]
解決に向けて「現状の把握/分析」、「原因の分析」、「効果の確認」などのステップで、QC7つ道具や、これから説明してゆくツールや手法が適宜用いられる事になる。
2.問題が漠然としている場合
例えば、
・新規分野に自社の新製品を参入させる
・市場調査型の策を打ってどの様な商品が求められているか情報を得る
・他社製品の参入による自社テリトリーへの影響を食い止める
こういった原因側に流動性があったり、解が一つではないような場合は、決まった「手順」が通用しないので、OODAで臨機応変に対応するのが良いだろう。
OODAの場合は、
「観察(O)」ー「状況判断(O)」ー「意思決定(D)」ー「行動(A)」
のループを適切に回しながら、都度やるべき事を決めて実行し進めてゆくことになる。
問題を解決する事が目的であり、解決するための手段としてツールや手法を活用することになる。
これが逆転している場合、それは趣味だ。
これまでの解説からご理解いただけたように、「問題解決」は正しい手順で実行し、流動性がある対象についてはOODAで対応しよう。そして、各々のステップではツールや手法を使い「客観的事実」に基づいて最終判断/決断をしよう、という事になる。
以上、ほとんどのケースでこれで良いのだろう。
但し、全て場面で「客観的事実」だけに基づいて決断して良いのか?は問題だ。
例えば、「価格の安い商品を生産する」という命題に対して「原価」という「客観的事実」だけを基に判断すれば、当然、労務費や輸送費が安い大陸の奥地で生産することになる。
場合によっては、自由意志を持たない人たちがその生産に携わる事もありうる。そんな事は予め容易に想像できるハズだ。
「客観的事実」だけを基に判断すれば、それは当然の帰着として納得、それが正義となる。
でも、それではダメだ!わからんか?!
だから必ず人の、それも権力がある人の正しい判断、決断が不可欠になる。
正しい判断、決断のためには正義に基づいた強い意志が必要だ。
多くの権力者、責任者達が、自身でその意志を発揮しなければならない事を、忘れているだろう。
それではダメだ!
今回は以上。
「問題解決」の流れで来ているので、次回は「IE(手法)」について解説する。
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今日の一曲
「OCD」REI
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