tomo1961’s blog

-55を過ぎてギターを始めた男が早期退職した後の顛末'ing-

退職を決断した後の行動 [No.2021-086]

 

先週の記事では退職を決断したら、先ずは社規則に目を通し、そして得られた情報はメモにとることを書いた。

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決断したのが2012年の秋。58歳の誕生日よりも前に辞めようというのが計画だったから、7年の計画という事だ。

 

当時所属していたのは国内製造関連会社の品質保証部だったので、関連会社に出向中というわけで、それもその年の4月から配属になったばかりだったから、うまいこと動かないと出向先にも迷惑をかけてしまうのも心配だった。

 

一番先に気にしたのは、出向先でそれもリーダーの立場のまま早期退職というのはまずいだろう、という事だ。

 

正規の定年退職の場合はどちらも有り、という感じで、出向先で定年になる人も多かったので気にする事もないとは思ったが、出向解除後の退職の方がベターな事は間違いない。

 

そこで早速同じく出向で来ていた職場の上長の部長さんに職場異動の希望を出しておいた。

 

これから新しい職場を造ろうという時に帰任希望を出したのだから変だとは思ったようだが、一応希望だから聴いとくよ、と言っていたから、この時点でインプットは出来ていたと思う。

 

その後2年がかりで新しい職場を立ち上げ、それから業務を仕組み化し標準化して、関係分野の製品知識がある者であれば誰でも仕事ができる職場にするのにさらに2年かかった。

その職場の機能というのが前例がなかったので、正常というのがどういう状態なのかというのが誰にもわからず大変だった。

 

そうしているうちの2016年の秋ごろから、頚椎の狭窄症による首と左腕の痛みがひどくなってきて、毎週リハビリに通っていたものの良くならず、2017年の4月に手術をして首の頚椎椎間板ヘルニアを除去してチタン製の部品を入れて神経に当たらないようにする事になり、「頚椎前方固定術による手術」というのを受けた。

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この時に約1ヶ月半職場を明けたのだが、突発不具合の対応では関係者にかなりの迷惑をかけたものの、定型業務では作成してきた標準と判定基準に従って、メンバーによって粛々と進められていて、私がいなくても滞りなく処理できる事が証明されていた。

 

自画自賛となるが、うまく仕組み化出来ていたなと嬉しくなったと同時に「よしいつでも辞められるな」と思った。

 

これは部長にも認められ、翌年4月に出向解除となり、無事本店機能の調達品の品質保証を担当している部署に転属できたというわけ。

 

その間も退職に向けて調査を続けていたのは言うまでもない。

 

さて、家族への説明だが、私は1年前に妻に説明し、同居の親には事後説明にした。

反対されたが、根気よく説明するしかないな、ああいうのはね...

 

直属の上長に口頭で退職の意向を伝えたのが4ヶ月前。

退職願いは3ヶ月前に提出。

 

その後続けて退職届を提出した後は、総務部やその他関わる部門が事務手続きを始めるので、それからは追われるように進んでゆく

 

有給休暇についてはあまり深く考えずに成り行きだけの消化にしてしまった。

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本来であれば、最後の3ヶ月くらいは社内の友人や以前職属していた職場など送別会がつづくのが普通だが、私の時には既にコロナ禍が始まっていて飲み会は全て禁止となっていた。

少し寂しい感じはあったが、ある意味気を使わずには済んだ。

良かったか悪かったかはわからない。

 

民間企業ではこの1年、歓迎会や送別会は禁止にしている所がほとんどだ。最近の報道で行政機関ではこの状況下の下でも”送別会”をやっている事を知ったが、頭がどうかしているとしか思えない。

 

さて、退職時に受け取ることが出来たのは、退職金、団体共済、持株会積立の3つが大きいところだ。

あとは7月のボーナスは支給されるので、振込口座の再確認があった。

 

退職金はそのまま会社が契約している基金に預けておけば、60歳から年金式で死亡まで毎月定額が支給される、という制度もあったが、自分でも運用できるだろうと思い一括で受け取るようにした。

 

団体共済は3百万くらい戻ってきたので事前の調査でわかっていたとは言え驚いた。

 

持ち株はそのままで置いておく制度はなく、退職時にその時の価額で現金化するか、証券会社に自分で証券口座を開いて、株式として移管してもらう二者択一だったので、株式で受け取った。

 

そもそも既にコロナ禍が来ていて2/3以下まで下落していたので、株式で受け取るしか選択肢は無かったのだ。

株価はその後回復して今はもうかなりプラスになっているので結果オーライだった。 

 

最終出勤日は、これまで仕事で繋がりのあった方々と、元後輩の事業場長に挨拶。

 

退職2年前まで出向していた同じ事業場内の製造関連会社の社長は、若い頃同じ技術部で同僚だったので、社長室まで行って挨拶し雑談してきた。

驚いたことに彼も「俺も早期退職を考えているところなんだよ」と言っていた。

 

どこの職場にも我々の年代に居場所は残されていないという事かな。

 

定時近くに職場ミーティングが開かれ挨拶し、花束をもらってロッカーを片付け、従業員玄関から出た後正面玄関受付から入り直して制服やIDカード等を返却し、一人駐車場に向かった。

 

途中何人かが「おい!辞めるなんて知らなかったぞ!」 なんて声を掛けていただいた。

 

帰宅して「長い間お世話になりました」と花束を妻に献上し缶ビールを開けて一人晩酌。

 

妻から「ご苦労さまでした」というメッセージ付きのケーキをもらった。

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長かった会社員生活が終わった



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今日の一曲
Living In A Ghost TownThe Rolling Stones

 

*本ブログに掲載している広告とリンクを除く全ての写真はtomo1961又はその家族が撮影したものです。

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