この記事では、定年後の趣味について書いてみた。
題名は少し乱暴になってしまっているが、実際そうだと思う。以下論議してゆきたい。
先ず「趣味」といった場合の範囲を確認しておきたい。
広辞苑では以下のように定義している。
専門家としてでなく、楽しみとしてする事柄
Wikipediaでは3項目に分けて説明しているが、この2項目目は、好み/趣向の事を指しているので今回論議する範囲ではないとして除外しておき、1と3項に注目しよう。
1.人間が自由時間に好んで習慣的に繰り返しおこなう行為事柄やその対象の事。
2.物の持つ味わい・おもむきを指し、それを観賞しうる能力をもさす。調度品など品物を選定する場合の美意識や審美眼などに対して「趣味がよい/わるい」などと評価する時の趣味はこちらの意味である。
3.人間が熱中している、または詳しいカテゴリーの事。
まとめると、趣味とは好んで習慣的に楽しみ熱中する事であり、結果としてその事柄について詳しくなる、となる。
「好んで習慣的に楽しみ熱中」出来るような事を「探す」なんて事が出来るのだろうか?私にはそれは無理だと思うのだ。
なんとなくやっている内に知らぬ間に「好んで習慣的に楽しみ熱中」してしまう、のであり、「趣味探し」というワードは、このワードを使っている時点で論点が前後逆転していると思うのだが違うか?
くどいが、趣味というものは、その時点で趣味でもなんでも無いが、無意識にやっている内にハマったり、その沼に足を取られたりするものなのだから、探している時点で順番が間違っている。と言いたい(言い方を替えただけだけど)。
そもそも、我々のような定年前後の”いい年”をとっくに過ぎたジイさんが、それまでの長い人生経験の中で、ハマりそうだとか、ハマりに行きたいというものが無いわけがない!
忘れてしまっているだけだ...と思う。
それに探さなきゃという義務感で探して、やらなきゃと思ってやってるのは、結局そんなの趣味じゃない。
だから、もしどうしても「趣味探し」というワードを使いたいというのなら、自分の人生をふり返って忘れてきたものを思い出す行為の事を指すって事にするんなら、百歩譲ってOKだ。
「趣味探し」とやらをやっている諸君に言いたい。以前の記事にも書いたが、先ずは子供の頃を思い出してみよう。「趣味探し」という行為が存在するとしたら、それは究極の自分探しだ。俺は誰だったのか?を見つけるんだ。
大げさなんかじゃない。
子供の頃やっていた事、やりたかったが出来なかった事、親に反対されて諦めた事、憧れに終わっている事があるはずだ。
私の場合はそのひとつがギターだった。
小学生の頃、フォークブームがあって、市内にもギター工場があった。
あのブームの時代は楽器店だけじゃなくホームセンターみたいな店でも、どこでもギターを売っていた。
「モーリス持てばスーパースターも夢じゃない!」というCM
そうだそうだ!市内にあったのはモーリスの工場だったんだ。
ああいうのやってみたいなぁ
と思ったけど、でもその頃は親にギターをねだるような雰囲気じゃなかったな。
それから高校生になって、同級生が軽音部でバンドを組んでた。
でもあん時自分は無線部で、アマチュア無線の機械の方が欲しくて、これはねだってねだって買ってもらったよYAESU無線のFT-101。だから今度は自分の都合でギターを諦めた。
そんなこんなでギターに触れること無くジイさんになるまで我慢してきたから、55の時に思い立って始めたってわけ。
スキーだとか釣りだとか登山とかって言っても、誰かに連れて行ってもらっている内は、それは趣味ではなく一種のイベントであったり、旅行のようなものなだけだよ。
大勢で一緒にやることは否定しないが、夢中になっちゃって夢にまで出てきてしまったりして、一人でも何が何でもやりたいってのが趣味だ。
今から新しいことに対して、そんな強い思いを持てるかぃ?...無理だと思う。
だけど気がついていないだけで、あんたの中には既に見つけ出すべき何かはあるはずだ。
思い出してみてくれ。
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今日の一曲
趣味ってのはね、Addictedって事! Can you understand?
「Addicted」宇多田ヒカル
*本ブログに掲載している広告とリンクを除く全ての写真はtomo1961又はその家族が撮影したものです。
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50歳から再度山に登り始めたお話を小説風に書いています。
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