大分以前の記事にちょこっと書いたが、私は社会人になった若かりし時、信念とか理念みたいなものが全くなく、なんとなく成り行きで中退し地元に戻って来て、知り合いの紹介がきっかけで会社に入ることが出来た。
もちろん実際にはそんなに単純ではなく、当時若いなりに葛藤はあったのだが、今思えば「なんとバカな判断を!少しはモノを考えろ!」とあの時の自分を叱りつけたい。
だから、大志を持って会社を選び入社したわけではなかったし、入社して当分の間はただの”若者馬鹿者”の若造以外の何者でもなかった。職場が忙しい時でも残業なんかせず関係なくナイタースキーとか行ってたしね。
しかし、そういう私のような社員でも入社3年目にそれなりの仕事を与えられて、且つそこで真面目にやっているうちに、会社への忠誠心と社会への正義感が、自分自身の中から芽生えてきたのだから不思議だ。
これは何故だったのか、未だにわからないのだが、当時の自分は「とにかく始業時から帰宅までは真面目にやらなくちゃ」と思っていた。最初はただ闇雲にそう思っていただけだった、と覚えている。
入社の時に口利きしてくれた知り合いに恥をかかせてはいけないとか、そういう事も考えていたのかもしれない。
だから技術部門に入った後は、割と皆が嫌がるテーマが回ってきた。後で聞くと「あいつなら文句を言わずにやるだろう」と思われたのだそうだ。
その結果、大きな要素技術開発テーマが一つと、当時新しい方式を採用して市場に出したばかりの製品の担当になったのだが、その製品がひどかった。
なんと、発売半年後に全数回収になったのだ。私が担当して間もなくである。
不具合の対策は難航したが、バカみたいに真面目に取り組んだ事で、技術者として鍛えられたし、先輩たちも一生懸命指導してくれた。同時に開発者から製造への橋渡しの役割だったので、関係する多くの人達とのつながりが出来たし、適宜報告を求められるので事業場の経営層にも顔を覚えてもらえた。
今考えれば、「なんで人の失敗の尻拭きをしなければならないんだ?!」と愚痴って、ヤル気を無くしてしまっていても、何ら不思議はないような状況だったのだが、とにかく愚直に真面目にやってたなアン時は。
目の前の事に真剣に向き合っていて、愚痴を言っている暇がなかった。そういう感じだったんだよな。会社も現代と違ってユルユルだったから、24時間以内なら1日中いくらでも仕事ができた時代。つづけて翌24時間に突入しても良かったし。
適当な場所で仮眠してても誰にも文句言われなかったし。夜中に耐久性試験の様子を確認に行くと、隣のシールドルームで電気屋のO君がよく寝てたなぁ あそこは暖かかったから...
ま、とにかく我ながら「エラかったぞ!」と、こっちは褒めてやりたいが、今の良い子のみんなは絶対真似しちゃダメだぞ。
しかし、そうして人と関係部門に広く関係しながら仕事をしていて、ふと気がついたことがあった。
不具合が発覚して間もなく、その原因は基本設計に起因している事がわかり、一旦購入していただいたお客様から回収した製品を修理するか、または新しい対策品に交換する事が急がれていた。
しかし、いくつもの対策案が提案されても、どの案でも一部の機構は根本的に設計変更しなければならないとわかり、その部位を新たに設計し直した上で、回収した数量の新品を生産し直し、お客様にお渡しする事になった。要は新品交換というやつだ。
緊急対策品はコストが高かったため、一通り交換の目処が立った後も、性能を落とさないまま原価を下げたタイプが求められた為、この”修羅場”は1年近く続くことになった。
さて気がついた事とはなにか。
本当は人をCategoraize[分類]してはいけないのだが、この”修羅場”の中で、分類して人を見る癖がついたのだ。
様々な切り口があると思うが、この時に分類したのは以下の2種類だ。
・本当にお客様が困らないように考える人
・自分や所属組織の利益(だけ)を考える人
どちらも、同じように真面目に仕事をしている様に見えるので見分けがつきにくく厄介だが、ふとした言葉や行動によってどちらの側なのか仕分けできる。
例えばこんな発言だ。
・「(工場長に早く報告するために)一旦(不完全な)この対策でモノをつくろう」
・「それは俺は(上に)説明できない」
・完全対策可能な設計を示すと「コストの責任は誰がとるんだ?」
などなどだ。
そもそも、対策の目処が立たないまま先に回収を行ってしまった(愚)判断もあり、日程的に我々は皆首を締め付けられていたので、人の本性が出やすかったのかもしれない。
以後、私は自分の中で人を二種類に仕分けしてから対峙するようになったのだが、これは良かった。
何故なら、相手に余計な期待をしない、というクセがついたのだ。
「彼はどうせ上の意向を気にしているから今は即決できないだろうな」というように予め予測が立つようになった。そしてこれが実際殆どの場合に当たるのだ。
年齢がいってからは、折衝する部門の相手がこの様に”上を見る”タイプなら、先にその人の上司に掛け合ってOKの感触を得た上で話をするようにした。場合によっては本人にわからないようにする。
昇進や昇格は、結果として得られたその”権威”を使って自分がやろうとしている事をを実現しやすくする、という”手段”を得るのが目的のはずだが、ポジションや結果として得られる手当や昇給だけを目的にしている人は、どこにも必ずいる。
そんな考えで仕事していて本当に楽しいのだろうか?と顔を覗き込んだことさえあるが、間違ってもこういう人を改心させようと説得してはいけない。
彼らは”こちら側”の存在すら知らないので喧嘩になるだけだ。
本人がわからないところで上手くコントロールするのが一番いい。
しかしムカつくのは、こういう奴らが55歳位になると、如何に退職金に有利になるように立ち回るか、というところに注力するようになるのだ。最終役職が高ければ退職金が高くなるような計算式になっているからだ。
実績もそれほどでもなく中身空っぽなのに、仕事そっちのけで裏で動いていたりする。
さて、こう書いておきながら、残念ながら私の場合はその”うまく”が、肝心なところで出来なかったりして、あからさまに昇格を阻止されたりしたけど、ま、悔いはないけどね。
そうそう、この話はこれで終わりではない。
社員は、
・本当にお客様が困らないように考える人
・自分や所属組織の利益(だけ)を考える人
の2種類と書いた。
しかしあなたの周りにはもう1種類の社員が いるのだ。
・毎日自分の時間をお金に交換しに来ている人
この方々は会社が平常稼働している時には最高に頼りになる。但し仕事がきちんと標準化され、その能力が明らかにされているという前提で負荷の平準化が出来ている事が条件だ。作業の標準化や平準化は経営者の責任だ。
これについてはまたいつか別の記事で描いてみたい。
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今日の一曲
でも本当は人をCategorizeしちゃあいけないよね。Reiちゃんにこんな風に”Stupid people!"なんて言われないように、よく考えて行動しような。
「Categorizing me」Rei
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