tomo1961’s blog

-55を過ぎてギターを始めた男が早期退職した後の顛末'ing-

「腹を括る」とはどういう事か?! [No.2021-050]

 

退職を決めるよりずっと以前の2001年の8月の終わり頃だから今から20年も前の話

 

ニューヨークの販売拠点への出張が決まった。 渡航は10月の予定だった。

 

全面的にリニューアルして新シリーズとなる新製品群を、万全の体制で米国リリースする為に、ニューヨークのロングアイランドにあった出荷拠点で製品の監査検査を行う、というミッションだ。

 

もちろん日本の工場から出荷する前に全数検査を実施しているのだが、新しい製品の為国際輸送後の実績がまだ無く、日本以外の国で最初に販売を始めるアメリカでこれを実施することになったのだ。

 

そしてその翌月あの事件が起きた。アメリカ同時多発テロ事件である。 

 

ビビったというかなんと言えばいいのか。

 

もちろん出張は一旦中止になったが、上で再検討の結果年が明けた2002年の1月末に飛ぶことになったのだ。

 

まだ事件から数ヶ月しか経っていないのに、飛行機に何十時間も乗ってアメリカの、それも事件のあったニューヨークに行くのだ、という事で頭の中が一杯になり、同僚も我々出張チームに同情してくれたのだが、ああいうものは言われればいわれるほど緊張してしまうのだ。

 

伊那から成田に行くには、先ずは岡谷で特急あずさに乗り換えるのだが、もうそのあずさに乗っている段階で緊張していた。若かったというかなんというか、今思い出すだけでも恥ずかしい感じだ。

 

しかし、具体的なきっかけが何だったかはよくわからないのだが、その2週間の出張中に自分の中の何かが変わったのだと思う。

 

腹が据わった、というか、あれから以後、仕事の決断にしてもなんにしても、必要とあれば腹を括る事が出来るようになったと思う。

 

腹を括るとは、一体どういうことか?広辞苑にはこう書いてある。

 

いかなる結果にもたじろがないよう心を決める。覚悟する。腹を据える」

 

考えてみればどうか?自分が乗った飛行機をテロリストがハイジャックしたとして、自分に何が出来るのか?最大限できることとして他の乗客と協力して突入だ。

 

いずれにしても死ぬのだ。

 

事前にいくら心配してもテロリストが乗機することは、私達一般人には防ぐ事はできない。やばい状況が判明した時には既に運命はほぼ決まっていると思っていい。

 

仕事でも、失敗の可能性があるからヤらないではなく、成功の可能性があれば責任者が腹を括ってゴーサインを出すのだ。もちろんそのリスクは都度異なるので、そこが管理者の腕の見せ所のはずだ。

 

弱気一辺倒でリスクを背負わないなんて、そんなの仕事じゃあない。

 

だいたい、決断を迫られた時には、ほぼ八方塞がりで選択肢など殆ど残っていない

そもそも選択の余地がある内は、管理者が出るまでもなくプロの担当者が適切にこなしてくれている。それが出来なくなったから決断を迫られているのだ。

 

こういう時にバカな管理者は最悪のセリフを吐く

 

「これまで通りに進める事が出来ないという理由を示せ」とか、

 

「決断するための基準がない」なんて言う。

 

最悪の責任回避だなこれは。

 

2010年頃中国の華南地域への出張が多く、時には拠点がある深セン市から毎日のように取引先に行き来していたが、現地のドライバーは高速道路に乗るとめちゃくちゃに飛ばす。

140km/h以上出ているKIAかなんかのボロい小型車で、いくらフラフラしていてもアクセルを緩めることはない。

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当時は4つ年上の先輩と同行することが多かったが、ふたりとも「これは事故ったら死んじゃうんだろうなぁ」と話していた。世間話のひとつかのように。

 

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ある時私より年下の技術屋が短期で来華し同行したのだが、私がニューヨークに行った時のようにビビっていて面白かった。

 

「これ、ドライバーを注意したほうがいいっすよ」と何度も言う。

 

「だけど速度緩めたら相手先との約束に間に合わねーだろ?」と言うと黙ったのだが、最後に止めで「どーせ死ぬ時は乗ってるみんな一緒だよ」と言うと、それから到着までずっと黙りこくっていた。

 

さぞかし怖かったのだろう。

 

ちなみに、今はエンジニアと言うとプログラマの事を指すようだが、我々の頃は技術者=エンジニア=技術屋と呼んでいた。広い意味である。メカ系技術者はメカ屋、同じく電気は電気屋(町の電気屋さんではない)そしてプログラマはソフト屋と呼ばれていた。

 

この話にはもう一つ落ちがあって、その日に行った取引先は随分と田舎の方で、お昼に注文してくれたお弁当が劣悪だった。まぁ私としては何度かこういうのには遭遇していたので、あるあるみたいなものだったが、彼にはきつかったようだ。

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飯は単にパサパサと言うだけでなくニオう

味付けも生まれてから一度も出会ったことのないマズイ味。あれはなんの匂いだろう?その上で何やら化学物質でも混ざっていたらマジ怖いな、というのも頭によぎった。

 

その彼は案の定「これは俺食えないっすよ」と言ったが、私はこれをムシャムシャ腹に入れながら、オウム返しで言ってやった。

 「食っとかなきゃ後持たないよ。まだ話が全然進んでないんだからさ。こんな遠くにもう一度来るなんて嫌だからね。今日は終わるまで夕飯食えねえんだよ。押し込んでも食うんだよ」。

 

さらに「それに、これでも先方さんとしては目一杯いいのを頼んでくれてるんだから失礼だよ」でとどめを刺した。

 

彼は渋々食べていた。

 

この日の監査が終わったのは19時過ぎだったと思う。それから2時間かけて拠点近くのホテルに戻れたのは21時を過ぎていた。昼をちゃんと食っておいて、というか押し込んでおいてよかった。

 

自分の体の中にわからないものを入れる、というのは恐怖だ。

もっとやばい話で、私の父の若い頃の武勇伝がある。 

 

それこそ何十年も前だ。おそらく40年以上前の話。父が勤めていた会社が新しく地方に工場を建設し、父がその新工場の責任者として赴任していた時の事。

 

まだ工場からの排出物は、多少垂れ流しがあっても一応法律違反ではなかったのだが、なんでも反対のような活動グループがどこにでも出てきた、そういう昔の事だ。そんな時代でありながら、とういうかだからこそだったのか、父の会社では当時最新式の汚水処理装置を導入した。

 

しかし、地元の反対が収まらず工場の稼働が始められず、会社も地元行政も困っていたところ「記者会見をして、その場で処理装置から出てきた水を俺が飲むぞ」と提案し、実際にカメラだか新聞記者の目の前で飲んで見せて反対派を黙らせたというのだ。

 

私も幼いながら(確か高1?)、後日その記事を見せられて「おやじすげー!」と感心したものだ。

 

実際にその処理水は、飲料に適すほどにまでは処理できていなかったそうなので、本当にヤバかったのだが、「昔は泥水でも飲んでたんだからさ」と飄々としていた

 

今ではデイサービスに行くのも嫌がる父であるが、当時は相当腹が据わった人物だったと思うとあらためて尊敬する。

 

「いかなる結果にもたじろがないよう心を決める。覚悟する。腹を据える」

 言い方を変えれば、どうにもならない事にクヨクヨしたり心配していても仕方がないから、目の前の事に集中して前に進め!

 

という事ではないだろうか?

 

多くの人が、

心配だ心配だ

そんな事は考えられない

ダメだダメだ

できないできない

ムリだムリだ

怖い怖い

と、言って考えるのを止めてしまう。おそらくご自身にそう言って納得し、逃げているのだろうが、腹を括って顔を上げ、前を見て進んだ方が良い事の方が多いのだ。

 

最も愚かだと思うのが会社や上司、ひどい場合は社長の悪口や文句を言っているのに辞めない人だ。これは最低だ。

文句があるのだから状況判断は(彼の持つ情報の範囲では)出来ているのに行動に移さない。下手をするとその愚痴を聞いてやっていた人の方が先に辞めていったりする。

 

決断しろ、というと決断するには情報が足りないとかなんとかいうわけだ。

 

そんな人達に「腹を括れ」と言いたい


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今日の一曲
天国に行ってから聴く「She’s A Rainbow」なんて、どうかな?ステキじゃない?

She’s A Rainbow」 The Rolling Stones

She's a Rainbow

She's a Rainbow

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 *本ブログに掲載している写真は全てtomo1961又はその家族が撮影したものです。

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