「その1」からの続きです。
北アルプス縦走の後は、30代前半にかけて10年ほどの間スキーに夢中になっていた。そしてゲレンデスキーだけでは飽き足らず、夏季に山岳地に滑りに行くのにハマっていた時期があった。5月過ぎに乗鞍岳の肩の小屋の雪渓や西駒の千畳敷カールで滑るのだ。
乗鞍岳は8月でも滑ることが出来る。
位ヶ原山荘までバスで上がり、そこから肩の小屋に向けスキーを背負って数時間かけて登り、山荘までスキーで30分ほどで下ってくる。
5月の千畳敷カールは極楽平の2,828mからロープウェイ駅舎少し上の2,700mまでの急斜面を一気に滑り降りることが出来る。
その後さらに時が流れ、48歳くらいの時に地元の同級生に誘われて再び西駒に登り、山頂からの素晴らしい眺めで一瞬で山の魅力に”落ちた”というのが、登山を趣味として始めた経緯である。
だから、一度も山に登ることを自分で欲したことのないまま、ある時山の上でハマった、という事になる。
最近更新を止めてしまっているのだが、ここから先の経緯を元ネタにして、小説風に書いているのが私のもう一つのブログ「50歳からの単独行」だ。
しかし、自分で「小説風」というハードルを架けてしまったので、ここのところ行き詰まってしまっている。なかなか難しい。
その後50歳になる年から機材を揃えつつ、主に単独テント泊登山を基本として登り続けている。
単独、無雪期、テン泊、縦走登山、が私のスタイルだ。
単独であるが故、山行計画作りや事前の準備には必要以上に時間をかける。だれかに「ヒマラヤに行くんじゃね〜んだからサ」と言われたこともある。でもこれも趣味の内だからね。但し、雪山はその怖さを知り過ぎているので、やらない。
私の家は伊那市立伊那中央病院の近くだが、この病院は敷地内にヘリポートを備えているため、山岳遭難が発生した時には救助後にヘリが着陸することが多い。特に多いのはゴールデンウィークと8月だ。数日続けて毎日降りる時もある。積雪期は少ないがそれでも月に数回はあるのではないか?
その翌日には地元紙に「西駒山頂付近で行動不能となりヘリで救助するも死亡を確認」というような記事が小さく載るのだ。
冬山ではないが、6月頃乗鞍岳をスキーで下っていた時に一度ホワイトアウトに似た現象に遭遇した事がある。
梅雨時だったので登りは雨具が必要だったが登り切ってみると雨も止み、滑りはじめの肩の小屋下の雪渓からは、位ヶ原だけでなく鈴蘭高原の方まで見通せるほどだった、最初の雪渓を滑り下って一度車道を渡り、再び滑り始めたのだが、ほんの数分で周りが全く、本当に何も見えなくなった。ガスの中に入ってしまったのだ。
山で「ガス」と言えば霧や雲の事を指す。要は下界から見ると山にかかっている「雲」に見えるあれだ。
もちろんすぐに停止して同行者(その時は私ともうひとりの二人パーティー)を呼ぶと大きな声で「うん、今止まってる〜!と返事、だが反響するので自分から見てどちらの側にいるのかさえもわからない。だけど声は互いにカラオケでマイクをつかって話しているほどに鮮明に聞こえるのだ。
「コレ動いたらあぶねーな〜」
「なー、しばらくまつかー」
声は通っていて普通に会話できるので、しばらく雑談していると15分ほどだろうか、斜面の右ななめ上の10m程のところに友人の姿ががぼぉっと見えてきて、まもなく滑るのに支障がないほどに視界が戻った。
二人共かなり不安を感じたが、一方で「まだ昼前だから最悪1,2時間待っても問題はないな」と思ってまっていた。しかしあれが15時くらいだったら日没時間を心配しなければならず危なかったし、不安ももっと大きかったと思う。
冬山ではホワイトアウトが発生する頻度も高く、独特の気象現象もある。だから自分の年齢を考えると行きたいと思わない。
若い人はいいがこれから山に登る中高年の方は、先ずは体力、というか筋力を鍛えておいてほしい。筋力さえあれば行動不能に陥る確率がかなり低くなると思う。次に体力だ。
信州大学の能勢先生が提唱している「インターバル速歩」を、先ずは平地で実践してみるのがいい。山行が劇的に楽になる。
このようなステッパーなら家の中で鍛えることが出来る。
この製品のレビューでマイナスをつけている方がいるが、このステッパーで行うのは、心肺力を鍛える目的のいわゆるカーディオトレーニングではない。あくまでもゆっくりと踏んで行う筋トレである。そこを間違えてはいけない。
続く「その3」も近日中に書きます。
注1)中央アルプスの西駒ヶ岳を”木曽駒ヶ岳”と表記しているパンフレットや小説がありますが、これらはいわゆる”俗称”です。正しくは「駒ヶ岳」または「西駒ヶ岳」です。
注2)南アルプスの東駒ヶ岳を”甲斐駒ヶ岳”と表記しているパンフレットや小説がありますが、これらはいわゆる”俗称”です。正しくは「駒ヶ岳」または「東駒ヶ岳」です。
注3)上記1,2の俗称”木曽駒ヶ岳”や”甲斐駒ヶ岳”の呼称は、どちらも昭和年代の終り頃から平成の初期あたりから使われ始めたようです。
注1〜3についてご注意ください。
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今日の一曲
私にとってこの曲の印象は強烈だ。まだ入社して数年の頃AE82カローラでぶっ飛んでいた時にいつも流していた。
「OMENS OF LOVE」T-SQUARE
*本ブログに掲載している写真は全てtomo1961又はその家族が撮影したものです。