tomo1961’s blog

-55を過ぎてギターを始めた男が早期退職した後の顛末'ing-

定年退職は”計画”して”実行”しよう その3 [No.2021-032]

 さて、退職後の第一日目からである。

この日は会社を退職した会社員が家庭に入らせてもらう日、という事だ。

家庭によって違いはあるだろうが、極端な場合はこういう事になっているはずだ。

・キッチンは妻の城

・というかそもそも家自体が既に妻の城

・家庭では既に旦那はアテにするものではなくなっている。

 

 27年前私の父親が退職した時には上に書いた通りの構図になっていた。

そして退職後かなりの期間は、弟が還暦祝いとしてプレゼントしたビデオデッキにテレビ番組を録画し時間を消費するのが仕事だった。母親も「おとうさんはテレビの番をしてくれてるから」なんて言っていたな。

 

その後少しだけの間、現役時代に繋がりのあった個人企業のアドバイサーみたいな事をやっていたが、後で知ったのだが、それを無給で引き受けていて、数カ月後辞める時に「お礼」という封筒に5万円が入っていただけだった。

父親は地元では名が知れた企業の幹部だったからこれはおかしな話だ。

おそらくその会社の社長と飲み友達だったから、話の流れで巻き込まれたような感じになってしまったのだろう。かなりのノウハウとを提供したようだったし、そもそも適切な対価を受け取っていればもっと数年は続けられたのかもしれない。

息子としては少し悔しい思いだ。

 

父は、事業計画の策定やその結果集計とそれを翌期にどう盛り込むかとか、加えて工場建屋の安全管理、規定遵守の管理、不正経理の監視方法やそれらの内部監査の実施方法等、企業の事業継続に関するノウハウを持っていた。

不二家の不正問題のニュースが出る度に「この程度の不遵守なら、俺が未然に防ぐ方法を教えてやったのになぁ」と言っていた。

 

もしあなたが退職後も働くのであれば、どんな形にせよ今の社会で一般的に認められている程度の適切な対価を受け取ろう。労働の対価は単なる”お金”ではなく”価値”なのだから。

 

話を戻そう。

この記事の「その1」,「その2」のように、定年退職を計画的に実行してきている方にとっては、前の段階でスタートを切っているので、この日は通過点でしかない。というか予め計画的に通過点にしておくのがいい。

 

私の場合は退職日が2020年の3月末だったのだが、在籍上の最終日である3月31日は生産管理と経理部門だけが出勤する棚卸し休業日(有給休暇扱いでお休みする日)で、最終出勤日はその前日3月30日の月曜日だった。

 

だから実質的な退職後の第一日目は3月の31日火曜日だったというわけだ。在籍上はまだ会社員で有給休暇の日なので、もしなにか問題を起こせばまだ会社に迷惑をかけてしまう。

だからヨメさんからは「もし交通事故にでも巻き込まれたら面倒だから今日は一日家にいて!」と命令され、時間割表に従った行動の上で、既に少額持っていた株の値動きを眺めたり、これから買う株のリサーチをしたり、一応”仕事”をして過ごした。

 

勤めていた頃の朝食は6時15頃で、6時半に家を出て7時には職場に着いていたが、退職後も朝食は同じくらいの時間にした。これはヨメさんと事前に話をした結果、87歳(退職当時は86歳)の私の両親と自分たちの生活リズムが変わらないようしようという事でこのように決め、今でも同じように続けている。

 

さて、私の「平日時間割表」を公開しよう。これを部屋に1枚と家族皆が見れるよう廊下にももう1枚掲示している。 

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但し、これをギチギチに守らないといけない、というように運用すると息が詰まって楽しくない。おおよその目安ということにしておく。

 

例えばもしヨメさんが寝坊してしまっても、居間に行ってテレビをつけて6時25分になったら勝手にテレビ体操をして、朝食はその後でもいいわけだし、ヨメさんが寝坊した時は自分で作って食べたっていいのだ。

間違っても「おーぃ時間だから早く起きてぇ」なんて言って奥さんを起こしてはいけない

 

とにかく、自分自身がスタンドアロン状態になっても稼働可能な体制になっていなければ、ヨメさんから見れば「邪魔な存在」という事になってしまうのだ。

従って退職後は、回線接続用の「おーい」や「ねえねえ」他これに類するコードは使用禁止にしておいたほうがいい。

そのためには自分の居場所が必要となるので、これについてはまた後日記事にしたいと思う。

 

その他、コーヒーを淹れるのは両親の朝食が片付いてからにすべし、などいくつか細かいヨメさんの指令があったので、それらは厳に遵守して暮らしている。

 

一番大切なのは家族みんなで楽しく暮す事だ。 

 この記事はもうかなりくどいけど...

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時間割表の「仕事」の時間には、先ずは退職後の手続きを最優先で行おう。

雇用保険の関係はハローワーク

・年金は市役所か年金事務所

・健康保険は会社の健康保険の担当者(退職前にメールアドレスを控えておく)

地方税の納付は勝手に振込用紙が送られてきたのでコンビニで支払った

・確定申告は2月なので会社がくれた源泉徴収票などは失くさないように管理する

・会社で団体加入していたiDeCoの移管手続き

・その他団体加入のものの振り込みがちゃんと済んでいるか都度確認

 

iDeCoの移管手続きは気が遠くなるほど複雑だったので、退職金で買った投資信託の手続きの時に、一緒に銀行にお願いした。

ちなみに、退職金は銀行経由で投資信託、特別退職金+団体積立金等の払戻金はネット証券で、持株会から移管した自社株は自分で運用、というように分けた。これが最適かどうかはわからないが。

いずれにしても、退職後はお金については誰もやってくれなくなるので、ちゃんとした知識が必要だ。

からしばらくは以前紹介したような本を貪るように読んだ。

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お金以外についても、今まで会社員としての専門範囲外の知識について勉強したほうがいい。

私は技術系なので、家庭でいえば家電の設置や修理、PCやWiFiの設定、テレビの受信アンテナの設置(退職前にCATVを解約したーこれも節約計画の一部)、冷暖房器具のトラブル対応、自家用車の整備などには全くストレスがないし、簡単なことは自分でやってしまうのでかなりの節約になっている。

最近は街の電気屋でも修理はせず、大抵は疑わしいところのユニットを交換するだけだ。そのユニットはそこそこ高価なので、修理見積もりも高くなってしまい、顧客に「だったら買い換えようかな」と言わせているのだ。

そもそもユニット交換なんて”修理”じゃあない。

 

さてでは、お金の問題や投資、投資につながる社会、経済の知識はどうか。

ほとんど知識がなかった。だから関連する書籍を最初の4ヶ月ほどの間は読み漁っていた。これら書籍は、先程あらためて数えてみると30冊を超えていた。

  

さらに、少額でもネットで稼ぐことも考えたい。私は今までやってこなかったのだが本当に後悔している。この1月から一生懸命勉強と情報収集を始めているところだ。

 

私の元の計画では、退職後には先に退職されている先輩方と交流するために、飲みに誘うなどして楽しみながら交友を広げようと思っていたのだが、コロナ禍の為にこれはダメになった。

しかしLINEやメールで連絡は取り合っている。

 

 さて、第一日目をうまく”通過点”として過ごし、毎日の生活が予定のパターンに乗ってきて、諸手続きの目処がたったら、マンネリにならないよう新しいことへの挑戦も考えよう。

 

 誰だったか忘れたけど、どこかの偉い人の言葉がある。

「毎日が同じで変化がなくなっていると気づいたら、その時こそ変革を起こす時だ」

 

会社から解放された今だからこそ”老人”になってしまわぬよう毎日を過ごし、”老害”にならぬよう気をつけた上で、これからが新しい事に挑戦できる最後のチャンスだ。

 

さて同年代の方々はこれを読んでどう感じていただいただろうか?

 

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私のもう一つのブログ「50歳からの単独行」も、是非御覧ください。
50歳から再度山に登り始めたお話を小説風に書いています。
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