突然の事だった。そしてあれよあれよという間に我が家は”老老介護”の家庭となってしまったのだ。
先週、同居している87歳の父親が居間で転倒した。
数年前大動脈乖離が発見されたが、入院での投薬治療中に左足付け根の血管に血栓が飛んでしまい、左足が少し不自由にはなっていた。
幸いにも、色々と運がよく命だけは残しているのだが、今まで他人の介助がなくとも生活できていた。
食事,風呂,トイレなどよたよたとした歩き方だが、本人も家族も別に生活に支障はなかったのだ。
その父親が、足を引っ掛けて転倒してしまったのだ。
痛みはないと言うので翌日までは特に気にしなかったのだが、腰に力が入らず動けない、動きづらいし、湯船には入れそうだが足腰が上がりそうもなく、湯船から出られなくなる可能性がありそうだ。
そこで整形外科で診てもらうことになった。
結果、腰のあたりの頚椎が一箇所ずれてしまっており、痛がらないのが不思議な状態となっていた。
相変わらず今でも痛がらないのだが、本人曰く軽いぎっくり腰になっているような感じで腰に力が入らず、座った状態から立ち上がれないという。痛くないという事には医者もびっくりしていた。
一旦立ち上がってしまえばなんとか歩くことは出来るが、先生には入院を勧められた。
しかし本人は拒否!
ちとびっくりしたが、痛くないしコロナのせいで一度入院してしまうと家族とも面会できなくなる。そうなれば”俺はそのまま動けなくなって死んじまうヨ”という。最もだと思い家に連れて帰ってきた。
元気なおふくろまでしょげてしまっていた。
さてしかし、これからどうするか?
その時ふと思い出したのが、会社員時代に毎年開催されていた”介護セミナー”の事だ。確かどこかに資料が残ってるはず...あった。家族が要介護になった場合にどうすればよいか?行政に頼れることはこう、業者に頼れることはこう、という内容で、
第一番に市役所の「福祉課」に相談に行き、以後ケアマネージャさんの指示/指導に従いなさい。
という説明になっている。
早速伊那市の福祉課に相談したのだが、担当の方々はとても手慣れており、あれよあれよという間、10分程度だったか、に段取りを付けてくれた上で、自分たちでやるべき事について説明してくれた。
概略の手順を箇条書きにすると、今日までやった事はこうなる。
1.市役所の福祉課に相談
・介護認定申請書の作成と申請受理 → 認定プロセスが始まる
・市の調査員の手配と調査日程確定
・ケアマネージャーの手配
・認定されるまでの暫定ケアの相談
2.市の調査員による調査
・市の調査員が来て本人の家の中での導線確認
・本人への面接
・家族への面接
・暫定の介護保険書をくれる
(正式な介護保険証は認定された後となる。約1ヶ月毎のこと)
など
3.ケアマネージャによる調査
・手すり設置など導線上の注意点などを指導してくれる
・家族及び本人からの聞き取り(状態の把握)
・介護サービス利用の提案
うちの場合は週2回のデイサービス(入浴とリハビリ)
4.手すり設置など介護保険で出来る工事や必要なレンタル品の調査
・手すり工事の事前調査(市の調査員と、自分が指定する工事業者も立ち会う)
工事業者は、同級生の工務店社長を頼り、快く引き受けてもらえた。
今日は市役所に行ってからちょうど1週間目だが現時点で事がここまで動いている。
その後電話とメールで入浴とリハビリは火曜日と土曜日の週2回引き受けてもらえることになった。今週の土曜日から通えるかも。
会社員時代に受けていたセミナーが役に立ったという感じだ。もたもた迷っていたらここまでスムーズに行かなかっただろう。感謝。
それに加えて、市役所の対応が、こっちが気後れするくらい素早かった事には本当に驚いたしありがたかった。
これからのリハビリによって父親の足腰の状態が今より少しでも良くなってゆくのか?それともこのまま悪化していってしまうのかは今はわからない。
心配だが、セミナーの講師が強調していたことを、資料を読み返すうちに思い出した。
介護で家族の生活、人生をすり減らすようなことは考えないで下さい!
そのために介護保険制度があるのです!
ここをかなり強調していた。
単に頑張る、犠牲にすることは、相手が親近者であれば出来るしやってやりたいが、それによって仕事を辞めたり、生活を犠牲にするのは良くない、というのだ。
介護保険の制度もしっかりしている事が良くわかった。
私はまだ59歳なので”老老介護”と言うとすこし大げさな表現だが、本ブログでは随時これからの経緯を掲載してゆきたいと思います。
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私のもう一つのブログ「50歳からの単独行」も、是非御覧ください。
50歳から再度山に登り始めたお話を小説風に書いています。
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