前の記事で次は、早期退職の理由を羅列する、と書いたが、その前に、これまでの会社員生活がどの様なものだったのか、についてそれなりには書いておくべきだろう。
僕の事を知らない人がこのブログを読むとも思えないけど、もし読まれた時に、羅列された沢山の理由の一覧だけを見てしまうと、書いた意図とはかけ離れた解釈をされてしまう危険がある、と思った。
大学の機械工学科を3年で中退し、地元のコネで中途採用してもらったところから自分のの会社員人生は始まった。
1982年の4月から正社員として関連会社の金属加工を担当している小さな分工場に配属され、これからは趣味に遊びにと大いに青春を謳歌するつもりで、もちろん将来のことなど何も考えていなかったし、社員としての野心もない、車好きでスキーに夢中になっていた、ただの田舎の若造だった。
野心のようなものは今まで一度も持ったことなかったな。
仕事は真面目で、作業や技術もかなり早く確実に覚えてきた方だと思っていたが、最初の職場で1年が経とうとしていた3月、突然別の、それも製品の組み立て工場への異動を命じられた。
1年間金属加工について学んだ事は、なんだったんだろうと、かなり戸惑ったが、新しいことへの興味も強く、言われるまま異動し、製品の組み立て作業に従事し、また全く新しいことを一から学び、習得していった。
うちの会社の製品は、いわゆる世間で量産品と言われているようなものはなく、すべて多種少量生産品で生産ラインの共通性もない為、製品毎に組み立てエリアがあり、それぞれほぼ手作業で組み立てられている。これは今でもほとんど変わっていない。
その製品とは何かを言ってしまうと社名がわかってしまうので書かないが、いわゆる安物といわれるものを除けば、ドイツの2社と日本の2社の4社で世界の9割以上を占めている業界だ。
一時、その製品の中でも生産数が多いモデルがベルトコンベアーを使って生産されていたが、知らない人が見ればコンベアーが止まって見えるほどのスピードで流れていた。コンベアのタクトタイムが数分から十数分という、そういう製品群である。
自分はその隣の職場だった事があり、インバータのキーンって音が懐かしい。
手作業が多いから人による習熟度の違いによって、作業に要する時間や出来栄えに差が出ることがある。と、いうか、ほぼ出る。
だからそのうちベルトコンベアーは使わなくなり、手送りのベンチライン生産に変わっていった。
こうして組み立て工程のことや製品の事を覚え、技能も習熟してゆくころ、ある日職場に技術部長がふらっと訪れ、君は将来の製品技術者の育成枠に組み込まれている事、次の4月から技術部に異動になる、3月には正式に説明されるだろう、と告げられた。
入社して1年で職場を異動する人がなどいなかったので不思議に思っていたが、そういう事だったのか、とようやく理解できた。
当時技術機能には部品加工の技術者は豊富だったが、製品技術者、特に製造工程がわかっている製品技術者が不足しており、数年前から人員確保に動いていたという事で、配属前にそれなりに製造工程を経験させるというのが異動の目的だったようだ。
その言葉通り、4月から本工場、本工場と言っても350名を少し超えた程度の規模だったと思うが、その技術部門に配属された。
製品技術は電気系とメカ系に分けられた一つの係で、配属されたメカ系は、8名の技術者と1名の庶務の女性の方で構成されていた。
こうして、僕の、38年間という長い会社員生活が始まった。